[政治] 国旗の神聖さと宗教性

産経ニュースに次のような記事が載った。
日の丸裁断による民主党旗問題 国旗の侮辱行為への罰則は是か非か

国のシンボルである国旗は単なる器物ではない。ナショナル・フラッグへの敬愛の念は世界の常識。本来なら法律で定めることではなく教育で教えることだが、日教組が力を持つ戦後の日本では難しい。教育が機能していない以上、法で定める必要もあるのではないか

と百地章・日大教授(憲法学)は述べたそうだ。

さてSF作家ダグラス・アダムスは宗教について次のように述べている。

宗教というのは…その核心に、私たちが聖なるもの、神聖なもの、あるいはそのほかもろもろの名で呼んでいるある種の考えを持っています。それが意味するところは、「ここに、悪く言うことは一切許されない一つの考え、ないし概念がある。決して許されないのだ。なにゆえに?--許されていないから許されないのだ!」ということです。もし誰かが、あなたが賛同していない党派に投票したとすれば、あなたはそのことについて好きなだけ自由に論じることができます。誰もが自分の意見を言うでしょうが、それによって不当な扱いを受けたと憤慨する者はいません。

国旗問題と宗教のあいだの共通点は、決して疑問を挟まれることのない神聖さではないだろうか。「国旗や国家はなぜそんなに神聖に扱われなければならないのか?」という問が発されることがない。そもそもそんな問があることすら意識されることが少ない。これは一種の宗教的盲目さではないだろうか。Jonathan haidtが述べたように、生得的な道徳パラメーターのうち神聖さ内集団への忠誠が関わっているのかもしれない。つまり、本能の一種だと考えれば、疑問視されないのも理解できる。宗教を可能にしているのと同じ種類の認知能力なのだろう。そして私たちはそこから逃れるのが難しいのかもしれない。でも日本のどこかに、なぜ国旗や国家がそんなに神聖なんだ?とテレビなどを通して公言するリバタリアンが一人くらいいても良さそうなものだけれど。

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ダグラス・アダムスの発言はこちら。訳は『神は妄想である』から引用した。