イヌの家畜化は食用から始まったか?

http://www.nytimes.com/2009/09/08/science/08dogs.html?hpw
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とてもすばらしい特徴がイヌにはあるが、最初に飼い慣らした人々がどうやってその気高き祖先、オオカミを捕まえ育てたか知るのは難しい。家畜化の理由はイヌの勇敢さが狩りで役立ったからだろうか?あるいは夜間の警備のため?そりを引く頑強さ?それとも寒い夜に心地よいぬくもりを感じたからだろうか?

世界規模の、この手のもので最大の新しい研究は異なる答えを示唆する。それはどんな飼い主でも不快になるに違いない。オオカミは最初に食用として飼い慣らされたかもしれない。ストックホルム王立研究所のPeter Savolainenに率いられた遺伝学者のチームはそう提案した。

世界規模でミトコンドリアDNAをサンプリングし、チームは全地域のすべてのイヌが一つの系統に属しているらしいことを確認した。それは家畜化が一度だけだったことを意味する。オオカミが多くの場所で家畜化されたならそれぞれの地域個体群にたどり着く複数の系統が見つかるはずだ。一度だけの家畜化は中国南部で起きたようだ。そこでイヌは他のどの場所よりも高い遺伝的多様性を示す。種は分散に伴って多様性を失う傾向があるので、通常、最も高い多様性を示す地域が起源の場所だ。Savolainen博士はイヌゲノム、ミトコンドリアDNAをサンプルし、家畜化の時期を推定した。おそらく最初に狩猟採集民族が中国にコミュニティを築いた頃、11000年から14000年前あたりだ。

彼らは口輪をはめ、たぶん檻を作れる組織だった文化を持っていたのだろう。それはオオカミを扱うのに必要だ。中国南部ではイヌをたべる長い伝統がある。切った痕があるイヌの骨が遺跡で見つかっている。Savolainenは最初の人間の入植者のまわりでゴミ漁りを始めたとき家畜化の道を歩み始めたのだろうと述べた。理論はマサチューセッツのハンプシャーカレッジのイヌ生物学者Ray Coppingerによって提唱された。地域的な伝統を考えれば、とSavolainen博士は述べる。テーブルに供されるために飼い慣らされたのかもしれない、と。

このようにイヌはゴミと彼ら自身の肉によって人間の生活に取り込まれていったかもしれない。しかし彼らはすばやく、落ちぶれていない役割を引き受けるようになった。いったん家畜化されるとユーラシア大陸の東端から西まで急速に広がった。ほとんどの人はイヌを食べないため、他の理由で、おそらく番犬やそり引きのため急速に広まったのだろうとSavolainen博士は述べた。彼の報告は昆明動物研究所のJun-Feng Pangと書かれた。 Jun-Feng Pangは多くの中国犬のDNAを分析した。その研究は先週、Molecular Biology and Evolutionで発表された。

2002年にSavolainenは東アジアで家畜化されたと書いたが、その結論は先月、コーネル大学のチームから疑問を呈された。コーネルのチームは遺伝的多様性がアフリカの村のイヌで中国と同じくらい高いと述べた。Savolainenは新しいリポートでコーネルの計算に反論し、実際に中国のイヌの方が多様性が高いと主張した。コーネルチームのメンバーのAdam Boykoは今、Savolainenのチームが詳細な遺伝データからよりあり得そうな仮説を作ったが、まだ中国以外の第二の場所でも飼い慣らされて中国以外に広まったというような、他の説明が可能かもしれないと述べた。

国立癌研究所の遺伝学者Stephen O’Brienは南中国でのたった一度の家畜化が「かなり良い結論」だが、世界中のオオカミのより綿密なサンプリングによって強化できたと述べた。アメリカの研究者のチームはまさにSavolainenが調べたミトコンドリアDNAだけでなくイヌとオオカミのゲノムの異なる場所を認識できるいわゆるイヌチップを用いてイヌとオオカミの遺伝学研究を行っている。データはまだ公表されていないが、その一部は東アジア起源説を「全く支持しない」とO’Brienは述べた。O’Brienが「ゲノム考古学」と呼んだことを研究者が始めたためにイヌの起源論争が起きた。「それは新しい分野です。まさに今その方法を学んでいます。」

イヌや他の動物の家畜化は人間の過去と重要な関連があり、関心は根源的なものだ。「家畜化は本当に、文明が食料を集める家族より大きなコミュニティを組織するためのレバーだった」。イヌは疑いなく初期の人々に役立ったため、野火のように広まった。現在の証拠に基づけば、彼らは家畜化された最初の種だった。
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ジャレド・ダイヤモンドか誰か忘れたけど、現代のイヌでさえたまには飼い主に噛みついて深刻な感染症を引き起こすことがあるのだから、オオカミを飼い慣らすのは利点ばかりではなかったはずだ、と述べていたように思う。しかし食用として拘束しつつ飼っていたのなら、より安全かもしれない。それ以前に小動物をの家畜化が行われていなければ不可能なように感じるけど。ドミトリ・ベリャーエフは40年でキツネの家畜化を達成したので、初期のイヌも案外早く家畜化されていたのかも。

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Jonathan Haidtによる「リベラルと保守の道徳の起源」後編

前編
中編
12分55秒あたりから
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一部の人々は、宗教が人々を結び付けるために、文化的・生物学的進化において適応として進化したと考えています。人々を互いに信頼させ、そして他のグループと争うときに有利です。私はそれが多分正しいだろうと思いますが、これはまだ議論がある問題です。でも私は宗教に…宗教の起源に興味があります。そして宗教が私たちに何をするか、私たちのために何をするかにも興味があります。世界でもっとも大きな驚きはグランドキャニオンではありません。グランドキャニオンは非常に単純です。それは単に多くの岩、多くの水と風、膨大な時間によってできました。そんなに複雑ではありません。本当に複雑なのは、人々がグランドキャニオンのようなところに住んでいることです。他の人と協力しながら、アフリカのサバンナやアラスカの極寒の岸辺にも住んでいます。そのうちいくつかはバビロン、ローマ、ティノチティトランのような巨大な都市となりました。どうやってそんなことが起きたのでしょうか?これは間違いなく奇跡です。グランドキャニオンよりも説明するのが難しいのです。

私が思うに、道具箱にあるあらゆる道具を利用したからです。協力的なグループを作るために道徳心理の全てが必要でした。そう、あなたは危害を心配する必要がありますし、公正さの心が必要です。それは本当に、より優れたすばらしい将来を追求するためのグループを形成するのを助けます。あなたがサブグループを持っていれば、そしてそのサブグループにも内部構造があるなら、そして他の人に欲求を抑えるように言うイデオロギーをあなたが持っているならば、助けになります。

そして今、リベラルと保守の間の不一致という難問にたどり着きました。リベラルは道徳の基盤のうち三つを退けるからです。彼らはこういいます:「集団内の共通性ではなくて、多様性をたたえよう」「権威を疑おう」それから:「あんたのルールを俺に押しつけないでくれ」

リベラルにはそうするだけの立派な動機があります。伝統的な権威、伝統的な道徳はとても抑圧的なことがあり、社会的地位の低い人々や女性、そしてそれらに合致しない人に対して制限的なことがあります。だからリベラルは弱者や抑圧について論じます。彼らは混乱のリスクを冒してでも変革や公正さを求めます。この人のシャツにはこう書いてあります:「不平を言うのを止めて、革命を起こそう」。もしあなたが経験に対して高い開放性を持っているなら、革命は良いことです。それは変化で、楽しみでもあります。一方、保守は慣習と伝統について論じます。彼らは秩序を求めます。たとえ底辺の人へ負担をかけることになっても。保守派の優れた洞察は、秩序を達成するのが本当に難しいと言うことです。それは本当に貴重で、失うのは簡単です。だからエドムンド・バークが言ったように、「人への抑制は、自由と同様に、彼らの権利の中から支払われる」。彼がこういったのは、フランス革命の混乱の後でした。
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あなたがこれを理解したなら…保守とリベラルがともに貢献できることを持っていて、彼らは変革と安定の上でバランスを作っているのだとわかったら、道徳マトリックスの外へ踏み出すのを受け入れられると思います。

これはアジアの宗教が到達した優れた洞察です。陰と陽について考えてください。陰と陽は敵同士ではありません。互いに憎み合っていません。世界が機能するためには、昼と夜のように陰と陽のどちらも必要です。同じものがヒンズー教でも見つかります。多くの神がヒンズー教にいます。この二人は保護者のヴィシュヌと破壊者のシヴァです。この絵は二人の神が同じ体を共有していることを示しています。右側がシヴァの特徴を表していて、シヴァはリベラルな神です。彼らは一緒に働きます。仏教にも同じようなものがあります。この詩は私が思うに、これまででもっとも深い道徳心理学の洞察を含んでいます。

禅僧・僧璨より:「真理を実現したければ賛成や反対の見解を抱いてはならない。一つを嫌い一つを好むことは心の病だ[*]」。現在、残念ながらこの病は世界の多くの指導者に感染した病気です。しかしあなた自身、ジョージブッシュより優れていると感じる前に、石を投げる前に、自問してください。それを受け入れますか?善と悪の戦いから抜け出すことを受け入れますか?何かに賛成も反対もしないでいられますか?

要点は何でしょう?何をすべきでしょうか?古代のアジアの哲学と宗教の優れた洞察を取り入れるなら、そしてそれを最新の道徳心理学の研究と結びつけるなら、このような結論に達すると思います:私たちの高貴な精神は進化によってデザインされました。それは私たちをチームとして結びつけほかのチームと敵対させます。それから、真実を見失わせます。

では何をすべきなのでしょう?私は皆さんが努力していないと言っているのでしょうか?僧璨を受け入れて、好んだり嫌ったりすることを止めるように言っているのでしょうか。いや、そんなことは全くありません。そういっているのではないのです。TEDは多くの才能と輝き、エネルギー、お金を用いて世界をよりよくしようとする、そして過ちと戦い問題を解決しようとしている人々のすばらしいグループです。

しかしセルジオ・ビエイラ・デ・メロ[**]の話でサマンサ・パワーから学んだように、「おまえは間違っているが私は正しい」といいながら文句を言い続けてもダメです。私たちはまさに知ったように、誰でも自分が正しいと思っているのですから。私たちが解決しなければならないたくさんの問題とは、他の人々を変える必要がある問題のことです。そして他の人を変えたいと望むなら、そのためにより良い方法は、まずはじめに自分が何であるかを理解することです。それから道徳心理学を理解し、皆自分は正しいと考えていることを理解することです。それから出て行くのです。しばらくの間だけだとしても、出て行って僧璨とチェックインするのです。

道徳的マトリックスから出て行って、それを疲れ果てる奮闘[a struggle playing out]だと見なしてみてください。そこでは誰もが自分は正しいと考えています。そして誰もが、少なくとも何かの理由を持っています。あなたが彼らと意見が合わないとしてもです。誰にだってそうするだけの理由があります。

踏み出しましょう。そうすれば、それは道徳的な謙虚さを養うためのだいじな行動となります。あなたをその独善性--それが普通の人間の状態です--から救い出します。ダライ・ラマのことを考えましょう。ダライ・ラマの膨大な道徳的権威について考えてみましょう。それは彼の道徳的な謙虚さが原因です。私が考えているのは…私の話の要点ですが…TEDの要点は、よりよい方向に世界を変えることに情熱を傾けているグループだと言うことです。ここにお集まりの皆さんは世界をよりよい場所にするために情熱的に関わっています。しかし真実への情熱的な傾倒もあります。答えは、その真実への情熱的な傾倒を、私たちすべてのよりよい未来へ向けることにあると思います。どうもありがとう。
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脚注
*このフレーズは久保栄治さんのウェブサイトの当該部分から引用させていただきました。

**サマンサ・パワーのTED講演を指しているのですが、こちらのブログのエントリを参考にさせていただきました。ポー川のほとりで-最近読んだ本:”Chasing the Flame” by Samantha Power