What Darwin Got Wrongについて

いつものようにwhy evolution is trueより。原文
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ジェリー・フォーダーとマッシモ・ピアテリ=パルマーニの新しい本What Darwin Got Wrongが二日前に出版された。そのテーマは、進化が事実かも知れないが、自然選択は良くても小さな役割しか果たさないということだ。選択は、フォーダーとピアテリ=パルマーニが言うには、二つの基盤から拒否される。それは経験的に支持することができず、哲学的にも擁護できない。著者は二人とも尊敬に値する学者だ。そしてどちらも創造論者ではなく、宗教的でもない。だから我々はこの誤って導き出された進化への批判があらゆる創造論者から歓迎され、宣伝されると予想できそうだ。言い換えればそれは進化生物学にダメージを与えるだろうが、フォーダーがそのことについて懸念するとは私には思えない。だからこそ、私の長いレビューの前に、いくつかのレビューを紹介しておこう。まずひとつめは2/14のボストングローブに載った哲学者マイケル・ルースのものだ。私はルースとの間に見解の相違を持っているし、たぶんずっと持ち続けるだろう。調停主義について、信仰について、科学と宗教の関係に関するあらゆる事について、我々の見解は一致しない。だがルースがWhat Darwin Got Wrongのまともなレビューをしなかったら罵ってやろう。冒頭から彼は要点をついている:

“What Darwin Got Wrong’’は猛烈にむかつく本だ。著名な哲学者ジェリー・フォーダーと共著者の認知科学者マッシモ・ピアテリ=パルマーニはダーウィンの進化理論--自然選択を生物の時間的な変化の主要因とする理論--を切り刻む丸々一冊の本を書いた。君はページごとに一つは、まさに一つずつは、学問分野そのものがどう進化したかを示す、進化学者の研究の議論があることに思い至るだろう。たとえばピーターとローズマリー・グラントのダーウィンフィンチはどうか。もしかするとアリの社会構造に関するE.O.ウィルソンとバート・ヘルドブラーもだ。ひょっとしたらデイヴィッド・レズニックによるトリニダードのグッピーも?

まあ読んでみて欲しい。これはF&PPの見かけ倒しの主張に対する、簡潔だがうまい分析だ。実のところこのレビューのタイトルは『見かけ倒しの起源』(The Origin of the Specious)だ。

一方、哲学者メアリー・ミッジリーのガーディアンのレビューについてはあまりよく言うことができない。ミッジリーは『利己的な遺伝子』の前提を完全に誤解したレビューで悪名高い。彼女はまだ現代生物学を理解できていない。このポストモダン的な分析を見て欲しい。我々が生物学と遺伝に関して近年に学んだこと全てがダーウィニズムに反すると主張している(動詞として「特権」を使用していることから、あなたはすぐにアカデミックな夢の世界にいることがわかるだろう。

この著者はもちろん、この種の古典的な自然選択が起きることを否定していない。しかし彼らは他のあり得る原因を超える特権を選択に与える理由が、現在のところ無いと主張する。ほとんどが破壊的であることが知られている突然変異だけでなく、考えられていたよりも遺伝の素材そのものが遙かに複雑で、未開の可能性の広いレパートリーを提供していることがわかった。見事な範囲において、生物は彼らの未来の変化のための素材を提供する。

驚きだ!大部分の変異は悪いだって!我々は今までそれを知らなかったとでも?[*コメント欄で大部分の変異は中立でしょというツッコミがあり]。彼女が「生物は彼らの未来の変化のための素材を提供する」で何を意味しているのか不明だ。ある意味ではつまらないほど事実だ。生物は変異をたっぷりため込んでいる。それは進化の生の素材だ。しかし私はミッジリーがF&PPの遺伝的同化やエピジェネティクスやモジュラー性に関する長く不可解な議論で煙に巻かれているのではないか、ただ単に彼女は自分が何を語っているのか理解していないだけではないかと疑っている。彼女はその後、進化的変化の説明として、物理や化学法則による個体の自己組織化に訴えはじめる。(こういう話ならもっとたくさん耳を傾けよう)

このほかに、おそらくより興味深いことに、物理と化学の法則は発生プロセスで手を取り合う。物質は明らかにランダムではない特徴的な方法で振る舞う。多くの自然のパターン、たとえば茎から出る芽の配列のようなものは、フィボナッチ数列に従う。そしてフィボナッチ螺旋は螺旋星雲でも観察されている。

もう一回植物のフィボナッチ螺旋の話を聞かされたら石を投げてやろう。もしミッジリー教授が、自然選択の関与なしで「自己組織化」が陸生偶蹄目から進化したクジラの体や、ナナフシの擬態をどうやって生み出したかを説明することができたら、私は感銘を受けるだろう。最後に彼女はF&PPの進化を引き起こす多元的なメカニズムの要求を受け入れる。

今我々がその位置を何が占めるかと問うなら、彼らの答えは、そのような質問は成り立たないと言うことだ。進化にはいかなる中心的なメカニズムは無いし、ある必要もない。多くのメカニズムがあり、それらはおのおの自身の言葉で調査される必要がある[all need to be investigated on their own terms.]。

確かに遺伝的変異を引き起こせる選択以外のプロセスがある。マイオティックドライブと遺伝的浮動がそのうちの二つだ[*コメント欄でマイオティックドライブは遺伝子レベルの自然選択の顕著な例ではないかというツッコミがあり]。しかし自然選択以外に生物の顕著な特徴--動植物のデザインされたかのような特徴、神によって説明されてきたもの--を生み出すことができるプロセスは存在しない。

彼らがデザインを生み出すことができる非ダーウィン主義的プロセスがどのような物かを説明できたら、自然選択への攻撃を含むこのようなダーウィニズムのラディカルな修正に関心を向けることにしよう。モジュラー性やエピジェネティクスや自己組織化やエボデボが象の体の説明を自己完結的に行えたとき、「偏屈なダーウィン主義者(かつてスティーブ・グールドが私に与えた)」の群れから飛びだそう。
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しかし流れを断ち切って、このエントリにトロント大学の生化学者Larry Moranがコメント。

しかしあなたの立場は役に立たない。適応に関して自然選択の役割を深刻に疑う人はどこにもない。それは進化生物学者だけの問題ではない。論点は、全てが適応かどうか、生物の全てが「デザインの兆候」を示すかどうかだ。私にとっては生物の多くがデザインに見えない。あなたがルーブ・ゴールドバーグが良いデザイナーだと考えない限りはね!「偏屈なダーウィン主義者」は「進化」が複数の要因、特に遺伝的浮動を引き合いに出すことで説明されると認めても良い頃ではないか?論争は「適応」の説明ではなく、「進化」の説明なのだから。あなたが二つを混同し続けるなら、論争に貢献できない。それは意図的なものだろうか?適応主義者が分子進化や分子時計を、集団中の変異の分布、ジャンクDNA、インド象とアフリカ象が異なる理由を説明できたとき、私は多元主義(グールドのような)を飛びだそう。

これは見事なストローマン。Moranが戦っているのは生物の全現象が選択と適応で説明できると主張する空想上のドラゴンらしい。もっともこの戦いは30年続いている。他の読者からはツッコミが入っている。
*彼はまだ1979年であるかのように、適応万能主義について講演する場所を探しているんだ。
*自然選択と適応が進化の唯一の要因であると主張する神話的な人物はどこにいるんですか?

しかし対するコインの返答はキレが悪かった…。

うーん、私は進化生物学一般ではなくて、フォーダーとピアテリ=パルマーニについて述べています。進化心理学への批判からあなたが知っているように、私は種の全ての特徴が選択で説明できるとは思っていません!

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