エソロジーの中で育つ (5)

ベビントンロードの人口は、巨大な北の海鳥のコロニーに繁殖期が訪れる間、周期的に空っぽになった。それからフィールドワーカーたちが、考え、執筆するためにオックスフォードへ戻ってきて満杯になった。春の満潮は年次の「Block Practical」[実地研修のことか]の二週間だった。その時期に我々は、マイク・カレンの指導と我々の何人かの助けの元で研究方法を学ぶ学生の群れに突然飲み込まれるのだった。

繰り返すと、強調点は別個の問題のはっきりした定式化と、特に答えを定量化することだった。たとえば私と研究したひと組の学部生は幼いヒナがリズミカルに甲高く鳴くことに気づいた。その鳴き声は「救難信号」とラベル付けされた。しかし学生はヒナに鳴かれるときの状況をはっきりさせることが出来ただろうか?教育的な指導とは、何をすべきかを学生に告げることではなく、彼ら自身で思いつくのを励ますことだった。

「どうやって君は鳴き声を定量化するつもりだ?」「鳴き声を数えます」「結構。だが本当の鳴き声を数えるために、十分静かになった時点をどうやって決めるつもりだね?」。学生は何らかのデシベルの基準を提案するかもしれない。だがそのような学生はいなかった。その代わり我々は観察者間の対比という考えに彼らを導くこともできた。「君と研究パートナーが互いに数えているところを見られなければ、君たちは同じ回数を数え上げるかな?」。

「そう、我々には我々なりの定量化の方法がある。いま、君はどの仮説を検証しているんだ?何が鳴き声を引き起こす?」「彼らはひとりぼっちみたいです」「なるほど、だが”ひとりぼっち”とは何だ?主観的な言葉に頼ってはならない。君が実験的に例証できる何かを探しなさい。どうしたらひとりぼっちを操作的に検証できる?」「ヒナを一匹取りだして、その一匹だけを置きます」「OK、それで君はそれを何と比較する?」「6匹の集団に置かれたおなじヒナとです」「それで何匹のヒナをテストするんだ?一匹だけと、6匹グループだけの間でだけ?」「それぞれの状態を一分間ずつ、10匹のヒナです」「それで君はいずれのヒナもひとりぼっちにして、それから群れに置くというようにテストするつもりか?」「いえ、そうはしません。順序の影響もコントロールすべきだと思います」「よろしい。では実験を始めなさい。私は一時間したら戻ってきてどうしているかを見るから。君が事前に実験をデザインしたとおりに、全てが完了するまで続けなさい」。

「OK、どうなった?」「組み合わせペアテストは、それぞれのヒナ自身のコントロールによって、孤独さの統計的に有意な影響を示しました」「よくやった。より明確にしよう。孤独とはどれだけ孤独なんだ?5匹の仲間ではなく、仲間が1匹しかいなければどうだろう?」「ええ、それは良いですね。それから、鳴く頻度を低下させるのに一匹の仲間で十分なら鏡を使ってみましょう。鏡の反射しない側とも比較したらどうでしょう?(あなたはこのような実験がとてもティンバーゲン的であると見なすだろう)本物の仲間ではなくて黄色い脱脂綿のボールをつけた棒ではどうでしょう?それは黄色でなくてはダメでしょうか?「目」をくっつけたら助けになるでしょうか?黄色ではなくて本物のヒナとは異なる色で染めたらどうでしょう?視覚的な刺激をなくして、一巣のヒナのガヤガヤ声を拡声器で聞かせたらどうでしょうね?」。学生たちはこのような実験を行い競い合った。実験は常に順序効果や他の交絡因子について適切にコントロールされていなければならなかった。それからーーティンバーゲンのblock practicalのオリジナルバージョンにマイクカレンがつけ加えたことの一つーーそれらは常に適切な統計によって分析されなければならなかった。ところで彼らはまちがいなく残酷ではなかったが、今日ではこのような研究は政府の承認なしに行うことができないし、おそらく学生実験の認可は下りないだろう。言い換えれば、量的研究精神のこの種の教育は、現在の英国では不可能なのだ。

ベビントンロードと、特にその付属のカモメのコロニー研究ステーションは「奴隷」システムーー大学に行く前にティンバーゲン体験のちょっとした味覚を求める若い無給のボランティア--を用いていた。そんな中の一人がフィリッツ・ボルラスで(後にクモの研究を行っていた活発なグループを率いるためオックスフォードに戻ってきた。現在でも親友のままだ)、それにヤン・アダムもだった(彼もまたドイツからやってきた)。ヤンと私はすぐに親しくなり、ともに働いた。彼は特筆すべき作業技術を持っており、そして幸運にも当時は自分を自分自身から守り、そして自主性をむしばむために存在する「健康と安全」以前だったのだ。ヤンと私には学部の作業場、旋盤、フライス盤、帯ノコギリなどを使う自由があった。我々(つまりヤンと、自主的な見習い工だった私)は、精巧にヒンジがつけられた小窓と高感度のマイクロスイッチで、ヒナのつつきのカウントを自動化した装置を作った。かつて、表面の影の思い違いについて研究しているときには、私は手作業でつつきを数えていた。突如として私は膨大なデータを集める立場になった。そしてこれは完全に異なる種類の研究の扉を開いた。

The Bevington Road population was tidal, emptying during the breeding seasons of the great northern seabird colonies, then filling up as the field workers returned to Oxford to write and think. Spring high tide was the fortnight of the annual ‘Block Practical’ when we were suddenly over-run by a swarm of undergraduates, learning how to do research under Mike Cullen’s guidance with help from several of us. Once again, the emphasis was on the clear formulation of discrete questions, and more especially on quantifying the answers. For example, one pair of undergraduates working with me noticed that baby chicks utter rhythmic, piercing cheep cries. These have been labelled ‘distress calls’, but could the students pin down the conditions under which they are uttered? The guiding didactic was not to tell the students what to do but to encourage them to suggest it for themselves: “How are you going to quantify cheep calls?” “Count them.” “OK, but how do you decide when a call is too quiet to count as a true cheep?” The students might at this point suggest some kind of decibel meter, but we didn’t have one so, instead, we might steer them towards the idea of inter-observer correlation: “If you and your research partner can’t see each other counting, do you end up with the same score?”

“OK, so we have our method of quantification. Now, what hypotheses are you testing? What provokes cheeping”? “They seem to be lonely.” “All right, but what is ‘lonely’? Don’t trust subjective language; look for something you can demonstrate experimentally. How might you manipulate loneliness experimentally?” “Pick up a chick and put it by itself.” “OK, but what are you going to compare it with?” The same chick while in a group of six.” “And how many chicks will you test, alone versus in a group of six?” “Ten chicks, for one minute in each condition.” “And will you always test each chick alone first and then in company?” “Oh, no, I guess we ought to control for order effects.” “Good, why don’t you get on with that experiment and I’ll come back in an hour and see how you are getting on. Don’t stop until you have done the full number of trials specified in advance by your experimental design.”

“OK, how did that go?” “A Matched Pairs Test, with each chick as its own Control, showed a statistically significant effect of loneliness.” “Well done. Now be more specific. How lonely is lonely? What if, instead of five companions, they have only one?” “Oh yes, that’s a good idea. And then, if one companion is enough to reduce the cheeping rate, why don’t we try a mirror, compared with the non-reflecting back side of the mirror?” (You see how Tinbergenian these experiments were). How about little balls of yellow cotton wool on stalks, instead of real companions? Do they have to be yellow? Does it help if you give them ‘eyes’? How about dyeing real chicks different colours instead of yellow? How about no visual stimuli at all but a loudspeaker playing the noise of an invisible clutch of chicks?” The students raced off to do these experiments, which always had to be properly controlled for order effects and other confounding variables, and – one of the things Mike Cullen added to the original Tinbergen version of the block practical – they always had to be analysed with proper statistics. By the way, though they were surely not cruel, most of these experiments could not be done nowadays without a government licence, which would probably not be granted for student experiments. In other words, this kind of education in the quantitative research mentality is impossible in Britain today.

Bevington Road, and especially its satellite research stations in the gull colonies, ran a system of ‘slaves’ – young unpaid volunteers who wanted a brief taste of the Tinbergen experience before going to university. Among them were Fritz Vollrath (who later returned to Oxford to head a flourishing group working on spider behaviour, and remains a close friend), and (also from Germany) Jan Adam. Jan and I found an immediate affinity, and we worked together. He had remarkable workshop skills and, fortunately, these were the days before ‘Health and Safety’ existed to protect us from ourselves and sap our initiative. Jan and I had the freedom of the departmental workshops: lathes, milling machines, bandsaws and all. We (that is to say Jan, with me as willing apprentice) built an apparatus to automate the counting of chick pecks, using delicately hinged little windows and sensitive microswitches. Previously, when working on the surface shading illusion, I counted pecks by hand. Suddenly, I was in a position to collect huge quantities of data. And this opened the door to a completely different kind of research.

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エソロジーの中で育つ (4)

私は自分自身のも含めてティンバーゲングループに由来する研究--もしかすると一般的にエソロジー的研究と呼ばれるものーーを重視する。それは「実はこういう事だったのだ」研究ではなく、「たとえばこうであるかもしれない」研究と呼ぶことができる。ワトソンとクリックの二重らせんは物事がどうなっているのかの発見だった。DNAは二重らせんだ。それ以外の何者でもない。話はそれで終わりで、覆されることはないだろう。蚊がマラリアを媒介するというサー・ロナルド・ロスの発見は「実はこういう事だったのだ」研究のもう一つの例だ。我々の研究はそのようなものではなかった。もし私が正しければ、その種のエソロジー的実験を用いることはおもに教科書的な原則を示すことになるはずだ。教科書はたぶん正しいだろう。

赤い模型に反応しているトゲウオは教科書の論点を理解するための良い実例だ。しかしトゲウオの現実はそんなに単純ではないかもしれない。ティンバーゲンは青い模型を試しただろうか?同じように、ヒナが太陽は頭上で輝くという「前もった知識」を備えて生まれてくるという私の結論は単純すぎるかもしれない。しかし彼らの未来の環境のいくつかの面について事前の知識をもって生まれてくる動物がいるとしたら(もしそうでなかったら驚くべき事だ)、私の実験はそれをテストするために、原理的には、どのような試験ができるかを明示している。私は少なくとも発達主義者が見逃していた、彼らが原理的に行動の生得性をテストするための実験を行うことなど出来ないと主張するとき見逃していた何かを例示した。

私にはベビントンロード13番地での友情が特別なものであったかどうか、あるいはあらゆる大学院生のグループが同じような団結心をはぐくむかどうかわからない。少なくとも、大学のひとつの大きな建物に収容されるよりは、別々の離れで過ごす方が、社会的なダイナミクスを培われるのではないかと思っている。動物行動研究グループ(とデイヴィッド・ラックのエドワード・グレイ野外鳥類研究所やチャールズ・エルトンの動物個体群局など)が最終的に現在のサウスパークスロードのコンクリートの巨大な建物(concrete monster)に移ったとき、何かが失われたと思う。しかしそれは私が単に年をとって、責任の重圧を受けていたということかもしれないが。

理由はともかく、私はベビントンロード13番地へ、そして金曜午後のセミナーや、食堂や、ローズアンドクラウンのビリヤード台に集まった同輩たちに忠実な愛着を持っている。ロバート・マッシュ、彼はのちに彼の本『 How to Keep Dinosaurs』への序文で思い出した流行のユーモアセンスを持っていた。ディック・ブラウン。ユアン・デリウスは熱狂的でエキセントリックな才能でマイク・カレンを楽しく補った。ユアンの超越的に楽しい妻ウタは私にドイツ語を教えてくれた。ハンス・クルーク、彼はのちにニコの伝記を書いた。イアン・パターソン。ブライアン・ネルソンはカツオドリ人間(gannet man)だ。最初の六ヶ月間、私は彼のことをドアに張られた謎のお知らせでしか知らなかった:「ネルソンはバス・ロック(Bass Rock)の上にいます」。クリフ・ヘンティ。最終的にニコの後継者となったデイヴィッド・マクファーランドは心理学科で基礎を築いたが、彼の活動的な妻ジルがユアンの助手で、二人はいつもベビントンロードで昼食をとっていたため、我々のグループの名誉会員的な存在だった。ビビアン・ベンジーは陽気なニュージーランド娘のリン・マッキーとアン・ジェイミソンを昼食メンバーの別の名誉会員として紹介してくれた。ロウ・ガーもまたニュージーランドからやってきた。ロビン・リリー。愉快なナチュラリスト、マイケル・ロビンソン。マイケル・ハンセルとはのちにフラットを共有した。モニカ・インペコフェン。14年後に結婚することになったメリアン・スタンプ。ヒース・マクナラハン。ロバート・マーティン。ケン・ウィルツ。後にケニヤでコンサルティングパートナーの関係を結んだマイケル・ノートン=グリフィスとハーヴェイ・クローズ。ジョン・クレブスとはのちに三つの論文を書いた。マイケルとバーバラ・マクロバーツ。イアン・ダグラス=ハミルトンは論文の執筆中にアフリカから亡命する羽目になった。ジェイミー・スミスと私は小鳥の最適採餌の論文を書いた。ティム・ハリデイとラリー・サファー、シーン・ニール。そして省略することを申し訳なく思う他の人々。

I think much of the research that came out of the Tinbergen group, including my own – maybe ethological research generally – could be called “For example, as it might be” research, rather than “This is the way it actually is” research. Watson and Crick’s double helix was a discovery about the way things are. DNA is a double helix, and that’s that. End of story, it will never be superseded. Sir Ronald Ross’s discovery that mosquitoes carry malaria is another example of “This is the way it actually is” research. Our research wasn’t like that. If I am right, the main use of such ethological experiments is to illustrate a textbook principle. Textbooks are probably correct that animals can be fooled by some restricted part of the natural stimulus situation into behaving in a way appropriate to the whole. Sticklebacks responding to red dummies are a nice illustration to get the textbook point across, but the true story of sticklebacks may not be so straightforward – did Tinbergen ever try a blue dummy? Similarly, my conclusion that chicks are born with the ‘advance knowledge’ that the sun shines from overhead may be too simple. But if there are some animals that are born with advance knowledge of some aspects of their future environment (it would be surprising if there were not), then my work illustrates the kind of experiment that can, in principle, be done to test it. I at least demonstrated that developmentalists were missing something if they claimed that you could never, in principle, do an experiment to test the innateness of behavior.

I don’t know whether the camaraderie of 13 Bevington Road was exceptional, or whether all groups of graduate students nurture a similar esprit de corps. I suspect, at least, that being housed in a separate annexe rather than in a large university building improves the social dynamics. When the Animal Behaviour Research Group (and other outliers such as David Lack’s Edward Grey Institute of Field Ornithology and Charles Elton’s Bureau of Animal Populations) eventually moved into the present concrete monster on South Parks Road, I believe something was lost. But it may be that I was by then just older and more weighed down by responsibilities. Whatever the reason, I retain a loyal affection for 13 Bevington Road and my comrades of those times who foregathered at the Friday evening seminars, or in the lunch room, or over the bar billiards table in the Rose and Crown: Robert Mash, whose epidemic sense of humour I later recalled in my Foreword to his book How to Keep Dinosaurs; Dick Brown; Juan Delius whose deliriously eccentric brilliance entertainingly complemented Mike Cullen’s; Juan’s supernormally delightful wife Uta who gave me German lessons; Hans Kruuk, who later wrote Niko’s biography; Ian Patterson; Bryan Nelson the gannet man, known to me in my first six months only from the enigmatic notice on his door, “Nelson is on the Bass Rock”; Cliff Henty; David McFarland, Niko’s eventual successor who, although based in the psychology department, was a sort of honorary member of our group because his vivacious wife Jill was Juan’s research assistant, and the couple had lunch in Bevington Road every day; Vivienne Benzie who introduced the sunny New Zealand girls Lyn McKechie and Ann Jamieson as yet other honorary members of the lunch group; Lou Gurr, also from New Zealand; Robin Liley; the jovial naturalist Michael Robinson, Michael Hansell, with whom I later shared a flat; Monica Impekoven; Marian Stamp, to whom I was later married for fourteen years; Heather McLannahan, Robert Martin, Ken Wilz; Michael Norton-Griffiths and Harvey Croze, who later formed a consulting partnership in Kenya; John Krebs, with whom I later wrote three papers; Michael and Barbara MacRoberts; Iain Douglas-Hamilton, unwilling exile from Africa while he wrote his thesis; Jamie Smith, with whom I wrote a paper on optimal foraging in tits; Tim Halliday, Lary Shaffer, Sean Neill and others whom I apologize for omitting.