科学と宗教に互換性はあるか? -その3.3

ダニエル・デネット

ジェリー・コインは宗教が平和的に科学の大部分と、特に進化生物学と共存できると多くの人々が自分自身を説得するのをうまく分析した。彼はこの挑戦がどれだけ絶望的か述べた。問題は残る:なぜこの衝動はそんなに強いのか?キャリアを科学に捧げた人たちでもそうだ。私は神の信仰への信仰の理由を半ダース以上挙げることができる。そして一部の人にとって疑いなくそれは付加的[additive]だ。排他的ではない。適当な順で並べてみよう。さもしいものから役立たず、そしてまとも[noble-if-misguided]なものまで様々だ。

1.サンクコストの誤り:
「私はこの立場に人生の50年もつぎ込んだ。自分の過ちを認めるのは苦しく、きまりが悪い。自分に公平に言えば、分別があるには若すぎる頃に罠にはめられたのだ。そして面目を保ちながら撤退する戦略を見つけることができなかった。」

2.慎重[prudence]がゆえの誤り
「これらの問題について求められた結論を出すのを避けるために、あいまいなの魔法を唱えることができる。結局のところ、それは誤っているかもしれないし、もしかしたら誰かにちょっと害を与えたかもしれない。でも痛くもない腹を探らないでくれ!」

3.芸術のための宗教
「世界の宗教の素晴らしい音楽、文学、芸術を保存する効率の良い唯一の方法は、全ての人々に生きた博物館を毎週の献金によって支えるよう奨めることだ。」

4.ママはどう思うだろう?
「私が愛する人々は、それに心情的に私を頼りにしている人は、私の変節を知ったら打ちのめされてしまうだろう。私はこの罪のない嘘を墓まで持って行くつもりだ。少なくとも両親がとどこおりなく埋葬され、子供と愛する人が私の告白を受け入れられる明白な兆候を示すまでは黙っていよう。」

5.宗教的美容体操
「それは私を謙虚にさせてくれるし、私が善い行いをする助けとなるような道徳的な内省の望ましい習慣を、”考えることなしに”促進してくれる。それは道徳的に自分を健全なままにしておくための自己浄化の手段だ。」

6.道徳的な混沌を避けるべし
「私自身はどのように生きるべきかを神に教えてもらう必要はないが、一部の人は本当に必要としている。宗教信仰はもしそれがなければ非難に値する振る舞いをする人々を恐れさせる。」

7.波風を立てるな
「私はもっと現実的な論争をしたい。なんのために気分を害して同盟者を捨て、敵を作り、強力な友人と同僚の支持を損なうのか?」

8.ダンボの魔法のはね
「宗教とは道徳的な人工器だ。それは善くありたいと願うもののそのために必要な不屈の精神を持たない人の決断と勇気を強化する。私が信仰を捨てたら、彼らが本当に依存している世界の一面が消滅する原因となってしまう。私には彼らの松葉杖を奪う権利がない。」

これらのうち二つか三つの組み合わせは、明らかに、非常に聡明な人々に非常にぎこちない主張を守るよう働きかけるのに十分だ。彼らはそのように曖昧で非論理的な主張を、彼らの科学の中では--哲学者の場合なら倫理学や認識論や形而上学の分析的な研究で--決して容認しないだろう。彼らは信者が崇拝の対象を、最初の神聖な生命工学者から神聖な偶然の小突き屋[divine nudger of randomness]、そして全知の立法者、それから(人間的ではないが、まだどうにか慈悲深い)生命の基盤へとどうやって変えたかに気づかないでいることができる。この滑稽な後退に気づかないでいるだけでなく、彼らはそれを実行した神学者の深い洗練さに拍手喝采さえする(私には”生命の基盤”が何であるかのアイディアが何もないし、思うにそのために無神論者である必要はないだろう。たぶん、自然選択による進化のプロセスはまさに神だ。さて、進化と宗教を一致させる方法があるぞ!)

神の信仰への信仰のそれぞれの理由は、ある程度は弁護できるものだ。しかし伝統に盲従することの副作用はよく考慮する必要がある。まず対話を阻害する組織的な偽善がある。より重要なのは「敬意」を悪用する人々への我々のもろさだ。[+with which we are supposed to respond to their indulgences.] 我々は神への信仰を明言することに固執する人の良い心がけを尊重し続けることができる。しかし彼らが幻想を抱き続けるために用いる議論を、我々が偽って尊重しますと言うのを止めるならば、それは彼らにとっても善いことだろう。

リー・スモーリン(物理学者)

コインの疑問に対する答えはイエスだ。その理由について、一神教の信者と科学者の間を取り持ついかなる試みも問題含みの非対称性によって困惑させられることを考えてみてほしい。自然選択を信じない人々を--薬の効果はその前提に基づいて開発されているのだが--科学者が否定することはない。

しかしこの寛大さは報いられることはない。啓示的な宗教が示さなければならない最大のプレゼントは天国への約束だ。彼らが説教している兄弟愛を実践するなら、信仰がどうであれみんなに約束されるはずではないのか。宗教の訴えの本質は強調ではなく実質的に強制だ:我々のグループに加わらなければ永遠の命の望みはないぞ!その前提を通して熟慮できないほど若い子供たちに向けられるこのやり方の恥ずべき点は、啓示宗教の議論の本質的的な不誠実さのもう一つの証拠だ。オープンで自由な社会の基礎的な倫理は、誰にも開かれている証拠に基づく熟慮された議論によって
、あなたが信じていることを守る準備ができていることだ。そして意志決定するのに証拠が十分でないという疑問の多様な見解への寛容性だ。

証明不可能な主張へ固執することに与えられる報酬として、神話上の未来に最高のプレゼントを約束する宗教信仰はこの倫理と矛盾する。実際のところ、宗教が教える寛大さと非差別を科学は実践している。究極的には人間は強制されたり操られるよりも説得される方を好むので、勝利を収めるだろう。しかし多くの人はまだ世界の存在とその美しさへの驚嘆を共有し、同時に人生の苦しみに慰めを与えるコミュニティの必要性を感じている。

この理由から、科学やこれらの倫理と調和する宗教のリベラルな形が存在するという事実は、コインが示すように軽視[denigrated]されることはない。多くの元信者はスピノザやアインシュタインが示したような汎神論やリベラルな調停を受け入れて一神教を捨てた。まさに科学と比較して天のお告げの論拠の弱さのために。それでもまだコミュニティの一部であることを望むのだ。我々科学者は幸運にも地球上でもっとも包括的で多様性のあるコミュニティの一員であり、我々が築くことを渇望する民主主義の倫理を彼らが拒絶しない限り、価値観と望みを共有する人々によってコミュニティに縛られている他の人々が必要としていることを理解するべきである。

ジョージ・ダイソン(歴史家)

科学と宗教は根付いている。オバマ大統領が政府の中で科学をあるべき位置に戻すと発表したとき、宗教もあるべき位置に--教会に--戻すことを暗示している。リック・ウォレンは科学教育やES細胞研究への意見のためでなく、祈りを捧げるためにワシントンに招かれた。実験化学の先駆者で王立教会の創設者ロバート・ボイルは(1691年に)”Christian virtuoso”で現在の流れを始めるを助けた:実験哲学に没頭することによって人を明らかにする[shewing a man]ことは善いキリスト教徒でいることの妨げとなるよりもむしろ助けとなる…[+to which are Subjoyn’d, A Discourse about the Distinction, that represents some Things as Above Reason, but not Contrary to Reason.”]

ボイルのはいまだに科学の経験的な性質が信仰の啓示的な性質を否定するかどうかの疑問への最高の答えだ。科学と宗教を調和させようとする本が絶え間なく組み立てラインから流れてくるのはそれを進めようとしたボイルと彼の後進の失敗の証拠ではなく、テンプルトン財団の成功の証拠だ。

-+-+-+-
部分的な訳し抜けが増えてきたなあ。ジョージ・ダイソンが突然テンプルトンを持ち出すのはなぜだろう。親父がテンプルトンから賞をもらっているから?

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