ダン・スペルベル-表象の疫学(1)

ダン・スペルベルによる「表象の疫学」に関するインタビュー。と言うかトーク。2005年7月27日。edge.orgより。動画そのものが繋がらないのが残念…

関連がありそうなリンク
elekitel.jp-より深い人間理解へ(3)
『表象は感染する』の序論-訳者菅野盾樹氏が公開されているもの
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まずイントロから抜粋

ダン・スペルベルは認知と自然主義に集中し、進化と結びついたアプローチを用いるフランスの人類学者です。…スペルベルは『表象の疫学』と呼ばれる文化への自然主義的なアプローチの研究によって良く知られています。またイギリスの言語学者ディアドラ・ウィルソンとともにコミュニケーションへの認知的なアプローチを発展させた『関連性理論』によってもよく知られています。…彼は古典的な人類学の研究に加わりましたが、くわえて初期から基本的で生得的な心の構造を調べなければならないとも主張していました。…

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私が知っていたいことは、進化的な視点で、社会文化的な現象がどう心理的精神的な現象と関係しているかです。19世紀に社会科学と心理科学が全く異なるアプローチ、手法を用い、異なる問いを発することでそれぞれ妥当な学問分野であると明らかになってきました。心理学者は人の心で起きていることが個人が育つ文化の中で常に特徴付けられるという事実を見失いました。社会科学者は文化の伝達、維持、変容が特別なこととして起きるのなく、個人の心的プロセスの中で起きるという事実を見失いました。

これは、あなたが調べているものが文化--心理的な瞬間に役割を持つ部分--またはエピソードであれば、文化の伝達において重要とみなされるべきだということを意味します。つまり、あなたが研究しているのが文化なら、文化の伝達において心理的な契機またはエピソードが果たしている役割が決定的だと考えるべきだと言うことです[*]。私には、文化が個人の頭の上にどうにかして浮いている何かだと見なすことが非現実的だとわかります。文化は体の中を通っていきます。体と心を通して文化は創られています。

わたしは非常に長い間、文化の発達と進化の道筋を制約する原因として、そしてもちろん文化を創る可能性がある物として、人間の進化した心理構造について考えるべきだと主張し続けました。今では「空白の石版」として信用を失った人間の心に対する見解にずっと反対し続けていました。それはいまやスティーヴ・ピンカーによって見事に打ち倒されたが、私が学生の頃は疑われていませんでした。事実、「空白の石版」は我々が教えられ、ほとんどの人が教え続けたものでした。それに対して私は人の心の中に文化を創り出し、形を洗練させ、その上それが発展する道筋を束縛する特定の性質、能力、適性があると主張していました。それは私をふたつの人類学分野での研究に、そして社会科学での研究に導きました。それは私の最初の研究分野でしたが、どんどん認知科学へ向かっていきました。

60年代後半に心理学は「認知革命」の黎明期にありました。それは本当に根本的に変わった。過ごすのにとてもエキサイティングに知的な時代でした。いまでもそうですが。でも、ああ、社会科学ではそれに相当するものが何もなかった(私の意見では、その時代に刺激的なことは本当に何も起こらなかった)。私は社会科学にこの認知に関する研究の革命を利用して欲しかった。私はどのようにそれができるかを提案しようとしました。文化の伝達のミクロプロセスは文化の構造、内容、発展のマクロレベルにどのような影響を及ぼすか?私が言うミクロプロセスとは小さな規模のローカルな過程です。一方ではそれは人の脳の中で起きる心理的プロセスで、もう一方では共通の環境に人が持ち込む変化のことです。それはたとえば彼らが話したり、歩き回ったり相互作用することで生まれるちょっとした考えのことです。

人間の精神がどうにかしてか文化を刻印するだけの空白の石版ではないと同時に、コミュニケーションのプロセスは心から心へ内容をコピーするだけのゼロックス機ではありません。これはコミュニケーションを社会的利益や権力や意識的/無意識的なひずみによってのみ偏る符号化=解読システムや伝達システムとするか、さもなければ歪められていない情報の流れをスムーズに運ぶシステムだと考える標準的な記号学者や社会科学者と私を区別します。同様に、文化的な伝達を複製プロセスと見なし、模倣とコミュニケーションが強靱な複製システムを提供すると考えるリチャード・ドーキンスと私を区別します。

私の研究の優れた部分の多くはイギリスの言語学者ディアドラ・ウィルソンと行われました。人のコミュニケーションのメカニズムは今まで仮定されていたよりもずっと複雑で興味深いこと、そして保存力や複製力がそれほど無くて、より解釈的[constructive]かも知れません。理解するためには多くの解釈が必要です。そして再解釈が行われるだけでなく、シンプルな複製はほとんど無いでしょう。

あなたが何かを話すとき、何が起きているかについてのシンプルな視点はこうです:「ああ、これらは言葉だ、言葉は意味を持っている」。そして言葉を解釈し、話者が何を言っているのかを理解します。より現実的でより面白いのは、私が言ったように、言葉が話者の意味をそのまま包み込んでいるのではなく、話者の意図の手がかりをあなたに与えると言うことです。我々が話すとき、我々は聴き手に心の中にある何かを理解して欲しいと望みます。そしてそれを完全にコード化する方法はありません。可能な限り言葉にコード化しようとする試みは理不尽なほど難しいのです。言語的な発話は、それがどんなに豊かで複雑だったとしても、考えを完全にコード化することができません。しかし彼らは強力な、豊富な量の体系立てられた考えの手がかりの断片を与える事ならできます。

聴き手の視点では、話者は豊富な手がかりの断片を提供し、共有するバックグラウンドの知識、共有する文化、ローカルな状況、行われている会話やそんな感じのものの元で解釈します。このような異なる要因全ての助けを借りながらあなたは複雑な表象を形作ります。
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つづく
表象の疫学(2)
[*]optical_frogさんのご指摘により訂正しました。ありがとうございます。

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コメント / トラックバック2件

  1. 翻訳拝読しております.

    第2段落の This means… の文は,次のように解釈するのはいかがでしょうか:

    「これはつまり,文化を研究してるんだったら,文化の伝達で心理的な契機またはエピソードが果たしている役割が決定的だとみたほうがいいということです.」

  2. optical_frogさんありがとうございます。
    いったん is culture,で切って、その後は素直に訳せば良かったんですね。無理矢理the part played~を押し込めようとして変なことになってしまいました。あまりの訳のおかしさに変な汗が出てきそうです。

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