「社会生物学に反対する」へのウィルソンの反論

http://www.nybooks.com/articles/9003
1975年12月11日にNYRに掲載された。批判の元の手紙はこちら
-+-+-+-
私はエリザベス・アレンと15名の共同署名者による虚偽の声明と告発に抗議するために手紙を書いた。私の本『社会生物学』へ直接向けられたこの手紙は署名者が誤って政治的なメッセージの本だと断定したことに基づく公然とした党派主義的な攻撃である。声明の中の主な断定は虚偽の申し立てか歪曲だ。署名者によって取り上げられた最も重要な点で、私は彼らの主張とは正反対のことを述べた。今日まで、科学的および一般向けジャーナルで本書をレビューした科学者の誰も、そのような意味で、あるいはその他のあらゆる重要な意味で誤解はしなかった。アレンらは社会生物学を次のように特徴付ける:「1910年から1930年代にかけてのアメリカで、断種法の制定と制限的な移民法の制定、そしてまたナチスドイツでガス室の設置に繋がった優生政策の重要な基盤となった」。私はこの見苦しい、無責任な、全く間違った告発に憤慨している。

アレンらはその告発で社会生物学から文の断片を選び、私の個人的・社会的偏見を表すという主張のために結び付けている。しかしその断片の解釈でさえ正確ではない。署名者は例えば、私を奴隷制は「人間社会で自然であるように思われる、と言うのも生物界ではそれが普遍的だからだ」と述べたように告発した。しかし私はそんなこと言ったことはない。本では奴隷制度はアリと人だけに起きたと述べた。そしてその二つのグループの間の習慣の差異は明確にされている。1975年6月のサイエンティフィックアメリカンのこの問題に関する私の記事は、以下のように全く違う表現をしている:

アリの奴隷制は私たちの種にとって何か教訓となるだろうか?おそらくならない。人の奴隷制度は大多数の人間社会の道徳システムに強く反する不安定な社会制度である。アリの奴隷制は、非奴隷制の類似種よりいくらか成功するかどうかも判断が難しい特定の種だけで見つかる遺伝的適応である。奴隷制のアリは行動の進化のはっきりとした面白いケースを提供する。しかし人間行動とのアナロジーはいかなる道徳的、政治的教訓を引き出すためにもあまりに遠くにありすぎる。

アレンらはドブジャンスキーの次の文章、「ある意味で人の遺伝子は人間の進化において全く新しい非生物学的、または超個体的エージェント、文化にその優位性を譲り渡した」につづけて私の文「その正反対が真実であり得た」を引用することで私をずるがしこい遺伝主義者としようとする。実際にはドブジャンスキーの引用に続く私の14行の文章のほとんどは技術的な内容で、次のように続いた:「2,3の社会で[共通の]行動形質が欠如していることを、形質が環境的に形作られていて遺伝的な基盤がない決定的な証拠として示すことは妥当ではない」 。私が意味するところはより小さい技術的な点に関連しているのだが、このように、この省略によって大きく歪められた。

段落全体を読めば私は全体的な見解において、歪められたバージョンで示された正反対の位置よりも、ドブジャンスキーとかなり近い位置にいることが分かる。

私は読者に、アレンらの記事が私の本の実際の声明に反対して言及している他の全ての部分を、実際に声明がなされた正しい文脈でチェックするよう求める。読者はほんの一部しか一致していないと分かると思う。そして私が本当に意味しているところについて疑念が全て取り払われると確信している。アレンらが私に罪をかぶせようとした重大な告発はこのような物だ:「ウィルソンは社会問題に対する責任から彼らを解放することで、その研究が社会制度の強化に役立った生物学的決定論者の長いパレードに加わる」。私はそんなことはしない。事実、私は他のところで全く正反対のことをした。10月12日のニュヨークタイムズマガジンの記事で、私は躊躇なく本の科学を超えて社会生物学の含意に対する個人的な見解を議論した。私の結びの声明は次のようなものだ:

社会生物学の危険な罠を強調するときが来た。それは継続的な警戒によってのみ避けられる。罠とは「である」から無批判に「べきである」が引き出される倫理の自然主義的誤謬だ。人間の本性の「である」の大部分は更新世の狩猟採集時代の遺産だ。どんな遺伝的なバイアスが提示されても、それは現在と未来の社会においてのどんな継続的な習慣の正当化にも用いることができない。私たちのほとんどは急速に変わる私たち自身が作る新しい環境で生きるのだから、そのような習慣の追求は悪い生物学になるだろう。そして全ての悪い生物学のように、それは災厄を招く。例えばある状況の下で、対立するグループと戦争を行う傾向は、おそらく我々の遺伝子の中にあるだろう。それは新石器時代の我々の祖先では有利だったが、現在は世界的な自滅を引き起こすかも知れない。長い間、可能な限り多くの健康な子供を作る事は安全への道だった。だが飽和している現在の世界の人類集団の中では環境災害への道だ。我々の原始的な古い遺伝子は、将来多くの文化的変化の積み荷を運ばなくてはならない。まだ知られていない程度まで、人間の本性はより進んだ利他主義と社会正義に適応できると我々は信じる-と、我々は主張する-。遺伝的バイアスは乗り越えることができ、情熱は避けたり他に向け直され、倫理は変わった。契約を可能にする人間の能力はより健全でより自由な社会を達成するために用いられ続けることができる。それでも心は無限に柔軟ではない。人間社会生物学は探求され、その発見は心の進化的な歴史を辿る我々が持つ最高の手段として考慮されなければならない。困難な探求の先頭では究極のガイドは私たちのもっとも深く、現在のところほとんど理解されていない感覚に違いない。間違いなく、歴史に無知である余地はない。[Yet the mind is not infinitely malleable. Human sociobiology should be pursued and its findings weighed as the best means we have of tracing the evolutionary history of the mind. In the difficult journey ahead, during which our ultimate guide must be our deepest and, at present, least understood feelings, surely we cannot afford an ignorance of history.]

ニューヨークタイムズマガジンの記事は8月にエディタに送られた。その後の[アレンらの]手紙が準備中であると知っていれば、この見解をアレンらに教える事ができた。そして社会生物学の含みに対する彼らの見解について、議論の機会を求めることもできたはずだ。

しかし、長い間記事の署名者の数人と親しかったという事実にもかかわらず、そして二人はハーバード大学で私と同じ建物を共有していたにもかかわらず、それが印刷される三日前まで手紙の存在を知らなかった。アレンらの行動に、虚偽を生み出すだけでなく不当に個人を傷つけ、脅迫を通して知的なコミュニティの健全性にとって重要な、自由な探求と議論の精神を減少させる、ある種の独善的な自警主義を表すよう感じるので、私はこの最後の点を強調する。
+-+-+-

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中