キュート、セクシー、スィート、ファニー

TED講演。ダニエル・デネット。2009年2月。訳の推敲度は30%くらい。

optical_frogさんが素晴らしい訳を公開してくださったので、そちらを参照のこと。意味がつかみ取れなかった部分や曖昧に意訳してしまった部分がとても参考になりました。どうもありがとうございます。

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私は世界中をダーウィンについて話してまわっています。ふだん私が話すのはダーウィンの推論の奇妙な逆転についてです。このタイトル、フレーズは初期の批判者に由来します。これは私が大好きな引用で、みなさんに向けて読んでみましょう。

我々が相手にしなければならない理論においては、職人は完全に無知です;完璧で美しい機械を作るためにそれを作る方法を知る必要はない、と全体システムの根本的な原理として私たちは明確に表すことができます。この提案はわずかな言葉でダーウィン氏の意味するところ全て、理論に不可欠の要素を簡素化した形で表しており、慎重な調査で見つけることができます;その人は、奇妙な推論の逆転によって、創造的な技術の達成について、完全な無知が完全な知性に置き換えられると考えているようです。[Robert Beverley MacKenzie 1868]

その通り、全くその通り。それは奇妙な逆転です。創造論者のパンフレットにはそれを表す面白いページがあります。

2つのテスト:
あなたは建設業者なしで建った建物を知っていますか?YES、NO
あなたは画家なしで描かれた絵を知っていますか?YES、NO
あなたはメーカー無しで完成した車を知っていますか?YES、NO
もし上記のうちどれかひとつでもYESと答えた場合、その詳細を書いてください。

アーハ!つまり、それは本当に奇妙な推論の逆転です。あなたはデザインにはインテリジェントデザイナーが必要であると言う考えは理に適っていると考えたでしょう。しかしダーウィンはそれがはっきり間違っていることを示します。

今日、私はダーウィンの”別の”奇妙な逆転について話します。それは一見等しく難解ですが、しかしいくつかの点で重要です。

私たちがチョコレートケーキが大好きなのは理に適っています。それが甘いのだから。男が彼女たちに声を掛けるのは彼女らがセクシーだからです。私たちが赤ちゃんを溺愛するのは赤ちゃんが可愛いからです。そしてもちろん、私たちは冗談が面白いから、冗談を言って楽しみます。

これが逆転の全てです。そしてダーウィンは私たちに理由を教えてくれます。デザートから始めましょう。私たちの甘い物好きは基本的に砂糖探知機として進化したものです。と言うのも砂糖は高エネルギー源なので、甘い物好きとして配線された、とてもざっくばらんに言えば、それが私たちが甘い物好きである理由です。ハチミツは、私たちがそれを好むから甘いのです。「ハチミツが甘いから好き」なのではありません。ハチミツには本質的に甘い物は何もありません。グルコース分子まで見ても、それが甘い理由を見つけることができません。それが甘い理由を知りたければ我々の頭の中を見なければなりません。そして、あなたが最初に甘い物があり、それから甘い物を好むように我々が進化したのだと考えたら、あなたは逆転してしまっています。それははっきり間違っています。それは全く逆です。甘さは進化した配線の結果です。

本質的にセクシーなものはない

本質的にセクシーなものはない

そしてこの若いレディーたちに本質的にセクシーな何かがあるわけではありません。したがって母なる自然には難問があります:いったいなぜあなたはチンパンジーをパートナーに選ぶのでしょうか?あなたはこう考えるかも知れない。ああ、答えがある:幻覚だ!

本質的にセクシーなものはない

本質的にセクシーなものはない

それは確かにそうすることのひとつの答えかも知れません。しかしより賢い考えがあります。そういう物が大好きなようにチンパンジーの脳を配線することです。それが全てです。600万年にわたって我々とチンパンジーは異なるやり方を進化させました。奇妙なことに我々は毛のない体を持ったようです。何らかの理由で彼らはそうしませんでした。我々がそうしていなかったら、恐らくこれはセクシーさの極みでしょう。

セクシーさの極み?

セクシーさの極み?

我々の甘い物を好む傾向は高エネルギーの食物に対する本能的な選好です。それはチョコレートケーキのためにデザインされたのではありません。チョコレートは超正常刺激です。この語はニコ・ティンバーゲンのものです。彼はカモメの有名な実験を行いました。彼はそれがカモメのオレンジ色のスポットだと発見しました。彼がより大きなオレンジ色のスポットを作れば、カモメのヒナはもっと激しくそれをつついたでしょう。それは彼らにとって超刺激で、彼らはそれが大好きでした。我々がチョコレートケーキで見ていることは、いわば我らの配線されたデザインをひねる超正常刺激だと言うことです。たくさんの超正常刺激があります。チョコレートケーキはそのひとつです。セクシーさについてもたくさんの超正常刺激があります。

そして可愛らしさにさえ超刺激があります。ここにとても良い例があります。私たちが赤ちゃんを愛することは重要です。そして、まあ、汚いおむつで嫌いになることはありません。赤ちゃんは我々の愛情と養育を引きつけなければなりませんし、そうしています。ところで近年の研究は母親が自分自身の赤ん坊の汚れたおむつの匂いを好むことを示します。つまり自然はこのような多くのレベルで働きます。しかし今もし赤ちゃんが現在そうであるように見えなかったら、例えばこんな風に見えていたら、それを魅力的だと感じるでしょう。それが私たちが感じる事、考えることです、ああまったく、それを抱きしめたいと感じるでしょう。

では最後に、楽しいことはどうでしょうか?私の答えはそれと同じです。同じストーリーです。これは難しいですが。明らかではないです。最後までとって置いた理由はそこです。それについてほとんど言うことがありません。しかしあなたは進化的に考えなければなりません。

私と同僚は答えを見つけたと思います。それは卑しい事務仕事[or聖職者仕事]に対して報酬を与えるために脳に配線された神経システムです。この見解に対する我々のバンパーステッカーはデバッグへの報酬だと言うことです。今それを全て説明する時間はありませんが、ある種のいくつかのデバッギングだけが報酬を得るとだけ言っておきます。我々がすることは、つまみを冗談に向けたりしてユーモアのスイッチをオンオフにし、神経科学的な調査を通じてユーモアの使用を調べます。「それは面白くないです…ああ、それは面白いかも…またつまらないです」というように、我々は脳の構造、脳の機能的な構造について実際に何かを学ぶことができます。マシュー・ハーリーは第一著者です。我らはそれをハーリーモデルと呼びます。彼はコンピューター科学の専門家で、心理学者レジナルド・アダムスとと私が加わっています。私たちはこれを本にまとめています。どうもありがとう。
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Jonathan Haidtによる「リベラルと保守の道徳の起源」中編

私はこの五つが道徳精神の最初の草稿の最も優れた候補であると考えています。これらは少なくとも学ぶ準備がされているものだと考えています。しかし私の息子のマックスがリベラルな大学都市で育てば、この草稿はどう修正されそうでしょうか?そしてどのように私たちの60マイル南、バージニア州リンチバーグで生まれた子供と異なるようになるでしょうか?文化的バリエーションについて考える前に、異なるメタファーを試してみましょう。本当に五つのシステムが心で働いているなら、--直観と感情の五つの源が--それなら私たちは道徳精神が5チャンネルのオーディオイコライザーのように働くと考えることができます。そしてそれぞれのチャンネルは異なる値にセットすることができます。私の同僚ブライアン・ノセクとジェシー・グラハム、そして私はwww.YourMoral.orgでアンケートを採りました。これまで30000人がアンケートに答えました。あなたもそうすることができます。結果がここにあります。およそ23000人分はアメリカ人のものです。左側にリベラルの点数をプロットしました。右側が保守、真ん中が中道派です。青い線が危害に関する質問への人々の反応の平均点を示しています。

左からリベラル、中道、保守

左からリベラル、中道、保守


ごらんの通り人は危害とケアの問題を気にします。彼らは全体的にこのような声明に高い是認をあたえます。しかし、お気づきの通りリベラルは保守よりも少しそれを気に掛けます。線が下がっていますね。公正さについても同じです。しかしその他の三本の線を見てください。リベラルの点は非常に低いです。リベラルは基本的にこう言います。「いや、それは道徳ではありません。集団内の権威、貞潔さ、そんなものは道徳ではありません。」しかし保守的な人にとってその価値は上がります。リベラルは…ふたつのチャンネル、ふたつの道徳基盤を持つと言うことができます。保守派にはより多くの、5チャンネル、5つの道徳基盤があります。

我々はこれをあらゆる国で見ることができます。1100人分のカナダ人のデータはこれです。いくつかスライドをめくってみます。イギリス…オーストラリア…ニュージーランド…西ヨーロッパ…東ヨーロッパ…ラテンアメリカ…中東…東アジアと西アジア。そしてこれらのグラフ全てで内集団、権威、貞潔さに関して傾斜が急であることに気をつけてください。これはいずれに国でも危害と親切さについて意見の不一致があることを示しています。皆さんは…つまり我々は公正さについて議論をします、しかし誰でも危害と公正さが重要だと認めます。文化内の道徳論議の中心は内集団、権威、貞潔さについてです。

東アジア

東アジア

この問題はどう質問にすればいいか分からないほど強靱です。最近の研究のひとつでは、あなたは犬を飼おうとしていると想像してくださいと頼まれました。あなたはある犬種を選びました。その犬種について新しいことを学びました。あなたはその犬種が独立志向で、飼い主を平等な友人であると見なすと分かると思いますか?あなたがリベラルならば、「おお、そりゃいい」と言うでしょう。というのもリベラル派は「持ってきてちょうだい」と言うのが好きだからです。[笑い] あなたが保守的であったらそれはあまり魅力的ではありません。あなたが保守的ならその犬が家庭と家族にとても忠実で知らない人にすぐになじむことはないと分かります。忠誠は良いことです。犬は忠実であるべきです、と。しかしリベラル派にとってはその犬は共和党に指名されるためにそうしているように見えます[笑い]

あなたはこう言うかもしれません、OK、リベラルと保守の違いはあります。では他の3つの道徳基盤は何を作りますか?それらは外国人嫌いと権威主義と政教と主義のまさに基盤ではないですか?何がこのモラルを作りますか?何が彼らに道徳をもたらしますか?

答えは私が思うにヒエロムニス・ボスのこの驚くべき三連作「The Garden of Earthly Delights」に含まれています。最初のパネルには想像の瞬間が描かれています。全ては秩序立てられています。全ては美しい。全ての人間と動物はそうせよと定められたことをし、いるべきところにいる。だが世界の習わしは変わります。★[We get every person doing whatever he wants, with every aperture of every other person and every other animal.] 皆さんの一部はこれが60年代的だとお考えになるかも知れません。[笑い] しかし60年代は必然的に70年代に変わります。もちろんボスはこれを地獄と呼びました。

それでこの三連作、この3つのパネルは秩序が腐敗する傾向があるという時を越えた真実を描写しています。社会的エントロピーの真実です。しかしこれがキリスト教の喜びを伴う奇妙な問題を持つ想像の一部であると思わないように。同じストーリー、同じ進展が数年前にエルンスト・フェールとサイモン・ゲヒターによってネイチャーで発表された人が共有されたジレンマを演じると述べた論文にもあります。

あなたがお金を他人に渡すゲームがあります。ゲームの各々のラウンドで彼らは共通の箱にお金を入れることができます。実験の管理者はそのお金を二倍にし、プレイヤーの間でそれを分けます。これは様々な環境問題に類似した素晴らしい例です。その問題では私たちは他人に犠牲を払うよう要求します。彼らは自分自身の犠牲から利益を得られるわけではありません。しかしあなたにとっては他の人の犠牲は望ましいです。そして誰にでも同様のただ乗りの誘惑があります。そこで最初に起こることは、、人々は最初に合理的な強調から始めます。これは全て匿名で行われます。参加者は持ち金の半分を配ります。しかし彼らはすぐに気付きます、「他の人は十分に協力していない。私はカモになりたくない。協力したくない」。協調は急速に衰え、合理的な協力からゼロへと向かいます。

しかしここで、ここでトリックがあります。フェールとゲヒターは7ラウンド目で参加者に告げました。「ちょっと良いですか、新しいルールです。あなたが貢献していない人を罰するために少しお金を使いたいなら、そうしても良いですよ」。そう聞くとすぐに協力が始まります。それは急上昇します。協力は上昇しつづけます。協調の問題の解決について明らかにした多くの研究があります。罰は本当に協調を助けます。良心に訴えるだけでは十分でありません。罰は本当に助けとなります。たとえ恥、ばつの悪さ、ゴシップだけだったとしても大きなグループの中で人を動かすのにある種の罰を必要とします。最近の研究ではある状況で宗教が、あるいは神、人々に神を考えさせることがより協調的、より社会的な行動を取らせることを示唆します。