Jonathan Haidtによる「リベラルと保守の道徳の起源」前編

TEDカンファレンス
2008年3月


07:44あたりまで
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二人のアメリカ人の友人が一緒にイタリアを旅行しているところを考えてください。彼らはミケランジェロの「ダビデ」を見に行きました。最終的に彼らが像と対面したとき、二人はそれぞれの理由で釘付けになりました。最初の男、アダムと呼びましょう、彼は人の形の完璧な美しさで釘付けにされました。二人目、ビルと呼びましょう、彼は像の中心にある目立つ物への決まりの悪さで釘付けになります。それでは皆さんに質問です。この二人の男のどちらがよりジョージ・ブッシュに投票しそうですか、どちらがアル・ゴアに?

私たちは同じような政治的な固定観念があるので挙手してもらわなくても私には分かります。みんなそれがビルだと知っています。そしてこの場合、固定観念は現実と一致します。経験に対する開放性と呼ばれる性格の特徴が、リベラル派は保守派よりも高い事は本当に事実です。経験に対する開放性が高い人は新鮮さ、多様性、異質性、新しい考えや旅行を切望します。それが低い人は親しさ、安全性や信頼のようなものを好みます。

みなさんがその特徴を知っていれば人間行動についての多くの謎を理解することができます。みなさんは芸術家と会計士が何故そんなに異なるかを理解することができます。皆さんは実際に彼らがどんな本を好むか、どんな場所へ旅行するのが好きか、どんな食べ物を好むかを言い当てることができます。皆さんがその特徴をいったん理解すれば、自分の知らない誰でも何故その人がアップルビーズ[アメリカのグリル料理レストラン]で食事するのかを理解することができます。この特徴は政治についても多くのことを我々に教えます。この問題の主要な研究者であるロバート・マクレーは「開放的な人はリベラルで進歩的で左翼的な見解を好む」と言います。彼らは開放的で変化のある社会を好みます。そして「一方で開放的でない人は保守的、伝統的、右翼的な見解を好む」。

この特徴もまた、私たちが加わるグループについて多くのことを教えてくれます。私がウェブで発見したグループの説明がここにあります。どんな種類の人々が、あらゆる分野と文化から参加を歓迎するグローバルなコミュニティに加わろうとするのでしょうか?誰が世界についてより深く理解しようとし、我々みんなのためにその理解をより良い将来へと用いようとするでしょうか?それはTEDと呼ばれるグループの人たちの一部のことです。

さて、もし開放性が誰がリベラルかを予見し、TED参加者になるかを予見するなら、我々は大部分のTED参加者がリベラルであると考えるかも知れません。試してみましょう。いま皆さんに挙手をお願いします。主に私たちが話している社会問題について、皆さんがリベラルか、中央より左側か、あるいは保守的か。私は聴衆の中に何人かのリバタリアンがいることを知っていますから、選択は三つです。では今、手を挙げてください。サイマル放送ルームでも誰が手を挙げているか見させてきましょう。自分がリベラルか左寄りだと思う人は手を挙げてください。さあ手を高く上げてください。OK。リバタリアンだと思う人は手を挙げてください。OK、だいたい…2ダース。では右寄りか保守派だと思う人は手を挙げてください。1,2,3,4,5,…だいたい8か10人。

OK、これはちょっとした問題です。私たちの目標は世界を理解することなので、世界のより深い理解にとって、このような私たちの道徳的多様性の欠如は問題をより難しくしそうです。というのも、人が価値を共有するとき、道徳を共有するとき、人はチームを組みます。そしてみなさんが集団心理に心をとらわれたとき、オープンマインドな思考がシャットダウンされます。2004年のように、そして2000年のようにリベラルなチームが負けるとき、私たちは自分自身を慰めます。[笑い]

我々はなぜアメリカの半分が別のチームに投票したのか説明しようとします。私たちは彼らが宗教によって、あるいは単純に愚かさによって盲目になっていたに違いないと考えます。[笑いと拍手] それでもし…それで、もしこのようにアメリカ人の半分が盲目によって共和党に投票したと皆さんが考えるなら、道徳的マトリックス、特定の道徳的マトリックスによって困難に落ち込むというのが私のメッセージです。マトリックスとは、文字通り映画の『MATRIX』のようなマトリックスを意味しています。

しかし私は皆さんに選択を与えるために今日、ここにいます。あなたは青いピルを飲んで自分を慰める妄想に固執することができますし、赤いピルを飲んで道徳心理学のいくらかを学び道徳的マトリックスの外側へ足を踏み出すこともできます。では、私は知っているので…[拍手]…OK、それを私の質問の回答とみなします。皆さんがどちらを選ぶか聞くつもりでしたが、その必要はありませんね。皆さんは全員経験に対して高い開放性を持っています。しかもそれは良いテイストを持っていそうです。皆さんは美食家ですね。ですので赤いピルを選びましょう。

道徳心理学のいくらかを学び、それが私たちをどこに連れて行ってくれるかを見てみましょう。まず最初から始めましょう。道徳とは何ですか?それはどこから来ますか?心理学のあらゆる考えの中で最悪の物は心が生まれたときに空白の石版だという考えです。発達心理学は子供が物理的、社会的な世界について多くのことを知りながら生まれることを明らかにしました。そして特定のことをいとも簡単に学び、他の事は学ぶことが難しいと明らかにしました。私がこれまでに見た最も優れた生得性の定義--それは私に多くのことをはっきりとさせます--は脳科学者ゲアリー・マーカスからのものです。彼は言いました、「初期の脳の組織はそれほど経験に依存しません。生まれは最初の草稿を与えます。それから経験はそれを修正します。ビルトイン[作り付け]は順応性がないと言うことを意味しません。それは経験に先だって組織されていると言うことです」。OK、では道徳精神について最初の草稿とは何でしょうか?

それを見つけるために、同僚クレイグ・ジョセフと私は人類学、道徳の文化的バリエーション、それから進化心理学の文献を読み、適当なものを捜しました。どの文化にも見られる、あるいは種全体にさえ見られる人々が論じる規範の種類は何でしょうか?われわれは5つを見つけました。5つが良くマッチします。我々はそれを道徳の5つの基盤と呼びます。

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最初の1つは危害/ケアです。我々はみな哺乳類です。我々は、我々を他人と協調させたり、他人を気遣ったり、他人(特に弱い者や傷つきやすい者)へ同情させるようはたらく多くの神経的、ホルモン的プログラムを持っています。それは私たちに危害を与える者に対しては強い(否定的な)印象を与えます。この道徳的な基盤はこのTEDでの私の道徳議論の70%を占めます。

第2の基盤は公正さ/互恵性です。他の動物で互恵性が見つかるかどうか、実際には曖昧な証拠しかありません。そして人の証拠についてはより明白ではあり得ませんでした。このノーマン・ロックウェルの絵は「黄金律」と呼ばれています。私たちはカレン・アームストロングからこれを、もちろん非常に多くの宗教の基盤であると聞かされました。この第2の基盤は私がこの講演で行う道徳議論ののこりの30%を占めます。

第3の基盤は集団内での忠誠です。あなたは動物界でグループを見つけることができます。協力的グループを見つけることができます。しかしそのグループはほとんどの場合とても小さいか、彼らはみな血縁です。グループに加わり協力することができる巨大な集団は人間の間にだけ見られます。ですが、結束したグループは他のグループと争います。おそらくこれは部族の生き残りの長い歴史、民族心理学に由来するのでしょう。そしてこの類の民族心理学は、我々が昔のような部族を持たない現代でも積極的にそれを作ることからわかるように、満足を与えてくれるものです。ポルノがセックスの代わりにされるように、スポーツは戦争の代わりです。私たちはいくらかの古代の…古代のドライブをします。

4つめは権威/尊敬です。非常に近縁な二つの異なる種のメンバーが行う従順のジェスチャーを見てください。しかし人間の権威は他の霊長類と違ってそれほど力や残虐さと結びついていません。それは自発的な敬意や愛の要素にも基づきます。

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第5の基盤は清純さ/神聖さです。この絵は「貞節の寓意」と呼ばれる物で、しかし純潔さは女性のセクシャリティをほとんど抑圧しません。それはあなた自身の体をどのように扱うか、どんな物を体に取り入れるかを自身でコントロールすることで達成できる美徳であるとあなたに教えるあらゆる種類のイデオロギーや考えでもあります。政治的右派が性道徳について述べると同時に、政治的左派が食べ物についてより多く話すかも知れません。食物は近頃は非常に道徳的な文脈で論じられます。あなたがどんな物に触れるか、どんな物を体に入れるかは清純さについての問題です。

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コメント / トラックバック2件

  1. […] 国旗問題と宗教のあいだの共通点は、決して疑問を挟まれることのない神聖さではないだろうか。「国旗や国家はなぜそんなに神聖に扱われなければならないのか?」という問が発されることがない。そもそもそんな問があることすら意識されることが少ない。これは一種の宗教的盲目さではないだろうか。Jonathan haidtが述べたように、生得的な道徳パラメーターのうち神聖さや内集団への忠誠が関わっているのかもしれない。つまり、本能の一種だと考えれば、疑問視されないのも理解できる。宗教を可能にしているのと同じ種類の認知能力なのだろう。そして私たちはそこから逃れるのが難しいのかもしれない。でも日本のどこかに、なぜ国旗や国家がそんなに神聖なんだ?とテレビなどを通して公言するリバタリアンが一人くらいいても良さそうなものだけれど。 […]

  2. […] 2009/08/31 huwahuwamohumohu コメントをどうぞ コメントへ 前編 中編 12分55秒あたりから -+-+-+- […]

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