宗教の呪い:A.C.グレーリングによる宗教批判

ガーディアンのコラムより抜粋。09/07/01
筆者は哲学者A.C.グレーリング。共通の利益のためには教義などお構いなしで手を組む打算的な姿勢を批判してはいるのだが、基本的には彼らに与えられている権利や尊敬の莫大さを批判しており、安楽死問題とはあまり関係なくなっている。

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タイトル:宗教の呪い
カンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズ、ウェストミンスター大司教ヴィンセント・ニコルズとチーフラビのジョナサン・サックスが、不治か終末期の病の人々の苦しみを長引かせるために力を合わせたこと--死を幇助してもらうためにスイスに行く患者に同伴することを解禁する法の改正に反対することで--は驚くようなことではない。

親切さに対するドグマの優先、人道に対する迷信に基づいたモラリズムは、歴史が大きく立証しているように宗教のおなじみのやり方だ。にもかかわらずそれはうんざりして嫌気がさしている人に、公共の場で宗教の問題に戻るよう強いる。

大司教とラビが人類の倫理的円熟を破壊しようとしていることについて述べなければならない。それで私は繰り返す:自由な社会で人々は彼らが望むものを信じることを許されなければならない。それが愚かで、無知で、不合理なものであっても、他の人に害を与えないならば。

宗教団体はちょうどいかなる自主選択、自己決定された利益団体(労働組合や政党のような)でもするようにあらゆる権利を持ち、言いたいことを言える。しかし宗教組織は彼らがそのようなグループであり、そのようなグループ以外の何者でもないと認めなければならない。彼らは市民社会の組織、例えば労働組合のように自己の利益を守り推進するために存在すると。彼らには同じ権利があり、他より大きな権利があるのではない。

そして問題はここにある。宗教は他の誰よりも大きな権利があると考えている。耳を傾けられる権利、法の埒外にある権利、特権を与えられる権利、彼らの学校のために税金を与えられる権利、上院に議席を持つ権利(26人の一代貴族の聖職者と、加えて引退した司教、大司教がいる)、公共のラジオで毎週何時間も話す権利、莫大なステータスを持つ権利、彼らの病院付き牧師が公金で雇われる権利、その他果てしなく。現実とは全く不釣り合いにパイから巨大なひとかけらをもって行こうとする。毎日曜毎に英国国教会のサービスを受けるのは全人口の3%であり、なんらかの教会、寺院、モスク、シナゴーグに通うのは10%だ。そして国はそれに協力している!

どうしたらこんなことが許容できるのか?全ての宗教的な組織は労働組合や他のロビー団体と同じようにプライベートなNGOにしなければならない。存続するために支持者からお金を集め、他のどのような団体とも同じ権利と資格だけを持つ。特権を停止し、金を渡すのを止め、政府が彼らの見解(その見解は、古代の読み書きできない羊飼いの信念に由来することを決して忘れぬよう)を広めるのを止めさせないといけない。

労働党や保守党が、3歳や4歳の子供に彼らの主義を教えるために政府から補助金を受け取って学校を運営したら、我々はどう考えるだろうか?あるいは占星術師、水晶占い師、お守り商人、ドルイド、魔女なら?全て自称で、自主選択的で、彼らなりの先入観を持っている。

大司教とラビが人道的な法律を阻止するために一緒に立っていることに気付こう。厳密に言えば、もちろん各々の聖職者は教義上、他の聖職者を異教徒、邪教徒、背教者と考えなければならない。彼らの組織はその歴史の大部分を互いに戦い、迫害し、処刑することに費やした。本当に、全ての宗教は他の全ての宗教を、彼らの信者を間違えさせ、誤解させていると考えなければならないはずである。

しかし宗教が共通の目的を持っているとき、たとえば信仰に基づく学校のために税金を手に入れたいとか、差別法から免除されたいとか、議会に議席を得たいというような時には統一戦線を張る。

これはふつう偽善と呼ばれる物だ。しかし間違いなく、現代神学はそれを再定義するために複雑な多音節語[polysyllable]を考えついた。
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この問題は自殺幇助を求めて海外に旅立つ人へ付きそう人に最高14年の刑を科すことを定めた法律から、それを取り除くべきかどうかの審議に聖職者が共同して反対したことから起きた。テレグラフの記事によれば、彼らは(もちろん改正自体にも反対しているが)審議が内密に行われようとしたことを批判しているようだ。
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[前大法官]フォークナーは自身の提案を擁護し、現在の法の状況を「考えていない」三人の署名者を批判した。「彼らの考え無しの反対には本当に驚かされる」「改正は自殺するために海外に行く人に許可を与えるのではない:彼らはすでにそうすることができる」そして改正は「法律に現在の処置を反映させるために」行われるのだと述べた。聖職者たちが、法改正が危険な方向に向かうと主張しているのなら、「彼らの反対の説明をややこしくするようなことを言うよりも、[最初から]そう言うべきだった」
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